昭和46年に仏学について研究会を創ることになり、東京大学史料編纂所とフランス語フランス文学会の有志が学士会館に集まって話をしたことを覚えているが、そのときの参加者は、高橋邦太郎先生(共立女子大学)、桃裕行先生(東京大学史料編纂所)、松田穣先生(埼玉大学)、加藤栄一先生(東京大学)、富田仁先生(早稲田大学)、それに筆者であった。
また昭和46年の白水社の手帳を見ると、11月13日に学士会館、13時半からとあり、さらに研究会とある。このような会をはじめに考えついたのは東大の加藤先生のようであった。このときお互いの研究や将来の研究について話をしたと思われる。会合が終わると、神田のランチョンが委託されていた学士会館のレストランで食事をした。
昭和47年のフランス語・フランス文学会の春季大会が共立女子大学で開催されたとき、仏学史研究会の仏学の開祖である村上英俊をメインテーマにしてシンポジウムをすることができた。もちろん、それには高橋先生の全面的なバックアップがあったことは言うまでもない。
また西南学院大学で開催されたフランス語・フランス文学会の昭和47年度秋季大会で、再びシンポジウムを持つことができた。発表が終わったあと、杉先生がわれわれの仏学研究を高く評価されたことを覚えている。それはわれわれの発表に新鮮みがあったからと思われる。フランス語・フランス文学会での発表については高橋先生や東大の杉先生のお力に拠るところが大きい。
昭和48年度の文部省科学研究費を申請し、「黎明期の日本仏学研究―村上英俊の学統を中心として」が助成金の対象になった。創設間もない研究会が助成金を受けることは、それだけ仏学への期待が大きかったからだと思われる。
さらに昭和49年5月25・26日の両日、駿河台の明治大学で行われた日本フランス語・フランス文学会春季大会のときにも、展示会「仏蘭西学のあけぼの―村上英俊を中心として―」を開催した。そのときは国立国会図書館、早稲田大学図書館、学習院大学図書館などの協力があったが、特に村上英俊の子孫である村上英夫氏からレジオン・ドヌール勲章などの貴重な資料の提供があった。
当時の日本仏学史研究会の事務局が松田先生宅で、松田先生が雑事を引き受けてくださっていたが、その後富田先生が事務などを担当した。
以上は、「仏蘭西学のあけぼの―村上英俊の人と業績」(昭和49年、日本仏学史研究会編)、「日本仏学史研究」3号(昭和48年)・6号(昭和50年)、「仏蘭西学研究」第7号(昭和51年)などを参照した。
西堀昭(横浜国立大学名誉教授)