Société d'histoire des relations nippo-françaises

第44回全国大会

2022年度 全国大会プログラム

共通論題:          「幕末維新期のフランス外交」

開催日時:          2022年6月18日(土)13時〜16時30分

※    全国大会に引き続き、17時から年次総会を予定しております。

会  場:          ズームによるオンライン開催

 

【第1部】          司会:有利浩一郎(財務省主計局主計官・学会員)

13時15分           趣意説明:中山信子(学会員)

13時20分           中武香奈美(横浜開港資料館 前主任調査研究員)

                     「中山裕史がとらえたレオン・ロッシュの対日外交」

報告要旨:

 中山裕史著・中武香奈美編『幕末維新期のフランス外交―レオン・ロッシュ再考』(日本経済評論社、2021年10月刊)の研究史的意義を編者の立場から紹介する。

 仏露経済関係史を専門とした中山裕史(1948-2015年)が幕末維新期の日仏関係史研究に取り組むようになった経緯や、そのグローバルな研究視点、利用した史料・文献に言及しながら本書全体を概観した上で、副題である第2代駐日フランス公使ロッシュがとった対日外交の評価の見直しに焦点をあて、その特徴を表現した「個人外交」についての中山の分析と見解を紹介する。

14時      コメントと質疑応答

 

【第2部】          司会:ル・ルー ブレンダン(帝京大学、学会理事)

14時30分           小寺瑛広(松戸市戸定歴史館、学会員)

                     「ロッシュの対幕府交渉:1867年パリ万国博覧会参加と德川昭武派遣を中心に」 

報告要旨:

 慶応3年1月9日(1867年2月13日)、パリ万国博覧会への参加を前に、将軍名代德川昭武はロッシュと面会した。昭武は、慶喜がロッシュの厚い周旋を大変喜んでおり、よろしく伝えるよう承った、と話し、自身もロッシュに「周旋を力に思っているので、しかるべくお頼みする」と述べている。将軍德川慶喜と弟昭武をしてこのように言わしめたロッシュの交渉・支援とはいかなるものだったのか。

 本発表では、ロッシュが直接的に関与したパリ万博への参加決定と、将軍名代德川昭武のフランス派遣に焦点をあてる。前者では交渉相手となった幕府人員の職位に注目しつつ、これまで余り論じられてこなかった幕府の意思決定プロセスと、ロッシュがどのように説得を重ねたのかを詳述する。後者では昭武派遣決定後、ロッシュがどのように史上初となる将軍家構成員の渡仏を支援したのかを、いずれも日本側の史料から明らかにしたい。

 

 

15時00分           中津匡哉(立命館大学、学会員)

                     「フランス陸軍顧問団長シャルル・シャノワンヌ報告書に見るレオン・ロッシュ」

報告要旨:

 仏国公使レオン・ロッシュは親幕政策の一つとして、フランスから陸軍軍事顧問団の招聘を画策し、実際、顧問団は1867年1月から1868年10月まで日本に滞在する。彼らは幕府陸軍の調練を行い、軍事改革に関する様々な提言を上申する等、幕府軍の近代化に貢献した。

 このミッションの団長を務めたシャルル・シャノワンヌ(Charles Chanoine, 1835-1915)は、来日したフランス軍人たちの指揮をとり、幕府の陸軍関係者である日本人たちに接する傍ら、本国陸軍省宛てに月例報告書を作成し送付している。

 その中には、在日フランス人たちの代表であった、レオン・ロッシュに関する記述も少なくない。

 本報告では、その記述をもとにシャノワンヌが見たロッシュ像を分析することを目的としたい。

 

 

15時30分           小山田紀子(新潟国際情報大学)

                     「幕末日本のフランス公使レオン・ロシュの生涯 ―アルジェリア征服軍通訳から外交官への道のり―」

報告要旨:

 ロッシュの人生は彼がフランスを後にしてアルジェに向かった1832年から1868年日本を去るまでの36年間の海外生活―アルジェリア・モロッコ・トリエステ・トリポリ・チュニジアそして日本―に彩られていた。このうち、本報告では日本着任までのマグレブでのロッシュの活動を中心にみていく。

 1809年グルノーブルに生まれたロッシュは、1832年アルジェにいた父に呼び寄せられてアルジェリアに行く。アルジェ到着後、すぐにハディージャという女性と出会い恋に落ち、彼女との交流の中でアラビア語を習得する。当時アルジェリアはアブデルカーデルによる対仏抵抗運動が繰り広げられていたが、1837年フランスとの間で平和条約が結ばれるとロッシュはアブデルカーデルに近づき、彼のキャンプで22か月間ほど過ごした。この二人は親友となったが、アブデルカーデルはフランスの文明化の平和に従うつもりはなかった。1839年再び戦争が始まるとロッシュはフランス軍に戻りブュジョー総督の下でフランス軍の通訳官として活動する。アブデルカーデル軍は1847年12月ついにフランスに降伏、ロッシュはこれ以後アブデルカーデルと会うことはなかったが、その後も二人は手紙のやり取りを続けた。1848~49年にはロッシュはモロッコの代理公使となり、ついでチュニジアでは総領事としてフサイン朝の近代化政策に関与した。そして1864年極東の島国日本へ赴くのである。

 ロッシュという人物を軸に、近代世界の広がりを人のつながりから見るグローバル・ヒストリーのひとつの事例として考えてみたい。

 

16時00分           総合討論および質疑応答

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